ローリング内沢のゲーム イズ ノット オーバー
- Game is not Over -
ステージ11:携帯電話のアプリゲームには楽しさの本質が眠っている?
炭酸飲料のキャップを開けるときの「プシュッ」という音の心地よさ、また電車の切符に書かれた4桁の通し番号をすべて足してピッタリ10になったときの嬉しさなど、ホントに些細なことなんですが、このような何気ない"気持ちよさ"というものが、ゲームのなかにも存在します。
たとえば『テトリス』のブロックがぴったりはまった瞬間、マリオがキノコを取って大きくなった瞬間、敵の弾幕をかいくぐって生き延びた瞬間などなど、さまざまな安堵感や達成感がプレイヤーを気持ちよくさせます。
ボクは、このような"気持ちよさ"はゲームにとって非常に大事な要素のひとつだと思っておりまして、その気持ちよさを味わいたいがために、何度も繰り返しプレイしてしまうんですよね。
最近のゲームはシステム的にも操作的にも複雑なものが増え、"楽しさや気持ちよさの本質"が見えずらくなってしまっているのも事実。壮大なストーリーや奇抜な演出、やれ実名を使っただの、最新の技術を駆使しただのと大風呂敷を広げるゲームは、方向性のひとつとしてはアリだとは思いますが、ゲームは遊んでなんぼ、楽しくてなんぼ、もしかしたらもっと単純なものではないかと思うんですよ。
そういう意味で注目しているのが、携帯電話のアプリゲーム。携帯電話の高性能化により、家庭用ゲーム機の単純な移植作品が多くなってきたのも否めないですけど、なかにはアプリゲームならではの面白いオリジナル作品に出会えることも。
ちょっとした空き時間に、サクっと遊べる作品が携帯電話のゲームにぴったりだと思うんです。だってゲーム機じゃなくて本来は"携帯"できる電話なんですし。そういった意味では、シンプルながらも「ゲームの楽しさって、こういうものだよねー」というのをカンジさせてくれる作品が多い気がするんですよね。
かつてファミコンがブームになっていた時代に発売されたゲームには、そのようなモノが多かった気がします。現在のようにゲーム機の性能も高くはなく、またソフトウェアの容量が小さかったため、開発者は頭を絞ってアイデアで勝負していたんですよね。だからこそ斬新な作品が多かったし、単純だけどハマるゲームが多かった。
いくらハードの性能が向上したとしても"おもしろいゲーム"の本質っていうのは変わらないと思うんですよ。
ここ最近では、通信が手軽に行えるという携帯電話の特性を上手にゲームの楽しさとして活かしたアプリゲームも増えてきています。今後、携帯電話のアプリゲーム市場はいま以上に発展していくことと思いますけど、家庭用ゲーム機の作品が携帯電話でも遊べますよ的な、単純移植のゲームの乱立だけは勘弁してほしいなあ……。
ライター経歴
ローリング内沢
1970年、東京生まれ。ライター、エディター、コラムニスト、ゲーム批評家。ゲーム情報誌『週刊ファミ通』、『ファミ通Wave』(ともに株式会社エンターブレイン)の編集者を経て、2000年よりフリーとして活動。得意分野はゲーム、クラブミュージック、グラフィックデザインなど。また趣味が高じて、クラブDJとしても暗躍中。
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